JOURNAL

SATSUKI TACHIBANA

後編

軸を大事に、様々なマーケットと交差していきたい

師匠である橘右橘氏のもとでしがみつくように修業に励んできたさつきさん。そのうちに個性も出てきて周囲からは優しい雰囲気の文字と評されるように。後編は特に印象に残っているお仕事のお話から始まります。

落語だけではない仕事の領域、可能性

寄席文字職人としてのキャリアを築いていくさつきさん。これまでのお仕事の中で、印象に残っているものを聞いてみた。

「2018年に大阪の阪神百貨店で開催された“大江戸技くらべ展”出展のお話をいただいたことです。さつきという名前をいただいてまだ1年ちょっとしか経っていないのに、老舗の皆様と一緒にお店を並べさせてもらうのは恐縮でしたし経験もないのによくやれたなと思います。いつもとは違う環境下で、一般の方に寄席文字へ触れてもらうにはどうアプローチすべきかと考えるきっかけになりました」

左:さつきさん 右:右橘氏

いろんな出会いやご縁があってこそ様々な経験をさせていただいたとさつきさんは語る。さつきさんが文字を始める前、落語にハマり始めて間もない頃に行っていた“らくごカフェ”との出会いが、仕事にも発展していったという。

「“らくごカフェ”のオーナー、青木さんには“さつき”という名前をいただいてからもずっと良くしていただいて。青木さんと右橘師匠の寄席文字教室に通われていた私にとってのお仲間である受講者の方が、私の実績になればとお話をくださったお仕事がありました。さだまさしさんの年末に両国国技館で行われるカウントダウンコンサートでのチャリティー木札の筆耕で、会場の入り口正面に私が書いた木札が100枚近く飾られているのを見た時は感無量でした」

 

デジタル社会の中で、文化と共に生き残る為に

 Web3.0やメタバースの台頭など、どんどんデジタル化していく現代において、寄席文字というアナログな文化はどんな方向に進んでいくのか、進めていくべきなのか。

「橘流寄席文字一門は家元・右近の直弟子でほぼ構成されており、師匠方も年齢を重ねてきています。孫弟子にあたる一門は3人で、もちろん私も同じように年齢を重ねているわけです。落語の世界に寄り添う中で、右近が確立したのが“寄席文字”です。今後の発展を考えると次の世代へ技術や想いを継承していくことも必要だなと思っています。そのことを大切にしながら異業種から興味を持ってもらったり魅力的と思ってもらえるよう、新しい試みをしていきたいですね」

とりわけ関心がなければ、独特の書体であっても情報伝達として見られるだけの寄席文字かもしれない。だが主役として扱い、それに付随する文化の歴史を伝えられる催しが各地で開かれることがあれば、もっともっと寄席文字というジャンルが広まっていくことだろう。

「私自身は寄席文字を始めてからそれなりの時間が経っていますし、その間日々近くに感じている世界なので、新鮮な目線を持ちにくくなっているのかもしれません。他の業界にいらっしゃる方がこの文字を単体で見た時にパッと魅力的に映ってくれたらいいなと、更に言えば『自分の業界に寄席文字を使ってみたらどうなるだろう』なんて発想に繋がれば寄席文字の更なる発展の希望になっていく。その為にもアピールは必要だなと」

「過去に荒川区さんとオーストリアのウィーンに実演をしに行ったことがあるんです。その時に現地の方に文字を見ていただいたり、実際に書く体験をしてもらいました。日本の伝統文化に触れられる経験を参加された皆さんが学び、楽しみながら実際に書いている催しに直接関わることができて凄く喜びを感じたことを今でも覚えています。今後は国内はもちろん、もっと多く海外の方たちにも伝えていきたいなと」

 

縁起文字で結びをつくる

寄席文字はその構成、書き方から縁起文字と呼ばれる。「人がたくさん集まりますように」、「業績が右肩上がりになりますように」そんな広義な思いに注目すれば、まだまだ落語以外のシーンで起用される可能性は考えられるだろう。

「寄席文字というくらいなので、寄席や落語会が多く開かれる地域では容易に目にすることが出来る文字だと思いますがどうしても馴染みの薄い地域はありますし、そこにも生の寄席文字が届くような活動も出来ればと考えています。日々様々なことに追われ、やりたいことは多くあってもなかなか進められずもどかしいですが必要なことなのは間違いないですし、普段の仕事とのバランスを取りながら一歩づつ進めていきたいです」

繁忙期が全く想像できない職種だが、どんなタイミングが一番忙しいのだろう。

「まだ私はそこまで実績はないのですが、噺家さんが真打になるタイミングは販促品を多数作るので、その時は本当に忙しいですね。お披露目に向けて後ろ幕や幟、披露宴の巻物など様々なものを手掛けます。細かいもので言うと封筒やビラも作るので仕事量はかなり増えますよ。もちろんおめでたいことなので全力で取り組ませていただきます」

 

今より身近なものとして感じてもらう為に

大衆芸能として親しまれている落語だが、寄席文字ももっと身近に感じてもらう為に、今後は「対業者」「対個人」に関わらず仕事を請けていることを知ってほしいのだという。

「たまに『全然関係ないけど寄席文字の依頼は出来るのか』『個人でもこんなお願いができるのか』と戸惑い気味にご連絡をいただくことがあります。未知なるお問い合わせは楽しみや嬉しさを感じますね。ご希望や楽しい発想があったら遠慮せずにお問い合わせください。お子様が生まれた記念、結婚記念、お店のオープンなどおめでたいことには色々使えますから(笑)」

そんなさつきさんに寄席文字職人としてのクラフトマンシップを伺うと。

「日々進歩。前日よりもいいものを書く、作る、依頼者の要望に応える。これって当たり前のことだけど毎日追われるように過ごす中このバランスを取るのがなかなか難しく苦しんでいます。『書き手として自分が求める表現の文字を書けているのかな』と葛藤しつつ。文字の力を感じ取れる作品を常に提供していけたら本望です」

INTERVIEW & TEXT:Mitsuaki Furugori
PHOTO:Fumihiko Ikemoto(PYRITE FILM)
SPECIAL THANKS:荒川ふるさと文化館

橘 さつき

http://www.umon16.com/index.html

橘流寄席文字一門 寄席文字職人
https://twitter.com/v3rF7nIv6rHGLPw

静岡県出身。
実践女子大学卒業後、印刷会社に就職。友人と見に行った演芸と音楽の複合イベントをきっかけに落語に興味を持つ。その後、荒川区が手掛ける「匠育成事業」に応募、師匠である橘右橘氏に師事。修業期間を経て、平成29年「橘流寄席文字一門」として「橘さつき」、令和4年に勘亭流文字で「荒井三都季」の名を許される。勘亭流文字、寄席文字、江戸文字と3種の文字を書きこなせるよう、引き続き鍛錬を続けている。

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