JOURNAL

YOSHINORI TOGASHI

前編

味にとどまらないすべてを磨き、食べてくれた相手を喜ばせたい

20代前半にして人気店舗の料理長に就任し、30代前半には六本木で自身のお店を構えるなど若くして料理界の第一線で活躍を続けてきた富樫純功さん。職人としての気質と経営者としての気質を併せ持ち、料理の味はもちろんのこと、店舗の収益面でも大きな成果をあげてきました。職人としての顔と経営者としての顔。そのどちらでも成功を収めてきた影には弛まぬ向上心がありました。

原体験は、いちからつくり両親へ振る舞った「うどん」

渡會:富樫さん、今日は宜しくお願いします!早速ではありますが、料理に興味を持ったきっかけは何なんですか?
富樫:小学3年生の時に風邪で学校を休んでテレビを見ていたんです。その時、たまたまNHKで料理番組をやっていたんですね。取り上げていた料理は「うどん」。それを見てなぜだか自分も料理してみたくなっちゃって。その日のうちに小麦粉から麺を作り、出汁も作ったんです。それを帰宅した両親に食べさせたら涙したのを今でも覚えています。それがきっかけで料理の道を進むことに決めました。

渡會:すごいですね、それは! その当時から料理人を志していたんですね。
富樫:そうですね。小学校から高校まで、卒業アルバムでは常に「夢は料理人」と書いていました。15歳からは母親の知人のお店などの厨房に入って料理を作っていましたね。ですので、料理人としてのキャリアは25年近くになるんです。

渡會:料理人として一番喜びを感じるのはどういった時なのでしょうか?
富樫:それは、やはり食べてくれた相手が喜んでくれた時です。料理に限らず何事もそうかと思いますが、相手があってはじめて自分の仕事は完結するものなので。ただ、そのためには、味だけに留まらずサービスや食器など料理にまつわる全てのことを磨かなくてはいけないと思っています。

料理人でもあり、経営者でもある

渡會:料理人としてより良い味を求めるのは当然ですが、富樫さんの場合は短期間で収益性も高めていると認識しています。経営者としての資質はどのように培われたんですか?
富樫:そもそも、僕の実家は貧乏だったんですね。だから、またああいった生活に戻りたくはないし、裕福になりたいという気持ちが強かったんです。金沢で修行していた時も他の人よりハングリー精神は強かったと思いますし、金銭面に対しても比較的貪欲だったと思います。

渡會:料理人と経営者というのは相反する部分もあるかと思うのですが、そこはどう折り合いをつけたのですか?
富樫:確かにお金を追い求める料理人が成功しない例も多く知っています。僕の場合は利益が出せる中でのベストを探るようにしているんです。仕入れの場合、仲介業者のマージンを抜きたいこともあり現地に足を運び、直接漁師さんや現地の市場の方と交渉し、直送してもらうという形で利益を出しました。それに伴い、会社の従業員の給与を見直したり人員削減を行ったりしたこともあります。嫌われ者にならなければいけない部分も背負っていましたが、結果を残すことでここまでこれたんだと思っています。

渡會:料理人も職人だと思うのですが、そういった考え方をする職人というのはあまり見かけないですね。
富樫:恐らく少数派でしょう。ただ、20代から自身で店全体を見る立場になってしまったので、自然とその意識はついてしまったんですよね。

渡會:若いながらにして料理長に就任していたら周りの人間からの嫉妬なども多かったのでは?
富樫:はい(笑)。何をするにしても叩かれる時期はありました。確かに、僕が若くして上の立場になれたのも周りの方々からの後押しがあったのは事実ですから。「自分だけ頑張っているふりをして」周りの人間から好かれようとしていると見られていたんだと思います。日本文化特有の「出る杭は打て」的な雰囲気といえばわかりやすいでしょうか。ただ、正直に言うと今もそれは感じています。何か新しいことにチャレンジしようとすると、どうしても周りからのプレッシャーを感じますね。

渡會:であれば、ご自身おひとりだけでお店をやった方が良いようにも思えてきます。
富樫:そうですね。今はお弁当やケータリング、出張料理、メニュー開発などで忙しいので、なかなか難しいですが、どこかのタイミングでまたチャレンジはするつもりです。

波乱万丈な富樫さんの料理人人生。後編では、これまでの挑戦と今後の目標などを伺います。

TEXT:Suguru Arao(Roaster)
Photo:Daisuke Kurihara(Roaster)

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富樫 純功

1978年東京都生まれ。高校卒業後、都内での結婚式場「東条会館」での勤務を経て、石川県金沢の名店『つる幸』の暖簾分け店である『こざい』で修行。のちに金沢のダイニングバーの料理長やファッション演出会社「DRUMCAN」が経営する中目黒の大人気和食店『元旦』の料理長を歴任。その後、自身が経営する割烹『富がし』を六本木にオープン。現在は、飲食店のトータルコーディネートや海外のアーティストが来日した際のフードコーディネートなどを行う飲食業界のスペシャリスト。

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