JOURNAL

SATSUKI TACHIBANA

前編

好奇心から落語に導かれ辿り着いた、寄席文字という伝統文化

1970年代から一般浸透してきた伝統的な話芸「落語」。近年、落語をテーマにしたテレビドラマの放送だったり、シンプルで身近な芸能として広く知られるようになった。今回は、そんな落語の世界を彩る上で欠かせない「寄席文字」を美しく書きあげる「橘流寄席文字一門」に所属しながら活躍する橘さつきさんのクラフトマンシップに迫る。

予想していなかった出来事から落語フリークになるまで

さつきさんと落語との出会いは、大学卒業後、印刷会社へ勤めていた時に訪れる。それは、友人から誘ってもらった落語と音楽ライブの融合したイベントだった。

「大学で美術史を学んでいたので、美術や文化的なことに少しでも関われるような仕事に就きたいと思っていました。そこでミュージアムグッズの製作もしていた印刷会社に出会い勤めるようになりましたが、同時により興味のある何かに出会いがあれば挑戦したいという思いを心の中で抱いていて」

そんな中、ある日友人からの誘いがきっかけで落語と出会う。

「友人がSAKEROCKのファンで、出演イベントに誘われ一緒に行きました。その時、落語があることもちゃんと認識していたかどうか忘れてしまいましたが、春風亭昇太師匠が出演されていて、その日が初めて落語を生で聴く機会となりました。その時に聞いた噺がとても楽しく、その日以降早速自分で調べて落語会に行くように。以前から興味はあったのですが入口が分からなかったこともあって、よいきっかけでした。それが今に繋がるスタートかなと」

 

寄席文字体験教室から、奇跡の再会

 落語の世界に魅了されたさつきさん。何度か鑑賞に行っているうちに、奇跡的な出会いを果たす。

「年に一度、ファン感謝祭のようなイベントがあって。そこでは芸人さんたちと触れ合ったり、落語に関する体験教室などが企画されていました。そちらへ遊びに行った際に寄席文字の体験教室があったんです」

もともと書道をやられていたということもあり、落語やマジック、お囃子など様々な体験教室がある中で寄席文字教室への参加を選ぶことは決して違和感のあることではなかった。

「そこでメインで講師をしてくれていたのが、なんと今の師匠(橘右橘)でした。でも、その時はまだ全然意識はしていなくて。落語を見に行って、そこに当たり前のようにある落語文字だなというくらいの感覚で特別注目していたわけではなかったですね」

それから2年後。たまたまテレビでニュースを観ていた時に転機は訪れる。荒川区では、職人の高齢化と後継者不足の問題解決の為に“匠育成事業”というプロジェクトがあり、勘亭流・寄席文字・江戸文字職人の後継者を新規で募集をかけていたのだ。そこでさつきさんは非常に気になりウェブサイトで詳細を調べたのだった。

「当時は、絶対に寄席文字職人になるんだ!という強い気持ちを持っていたわけでもなく、『応募してダメだったら仕方ないな』と思いつつ、気になったのなら応募してみればいいじゃないかと。ただ、2年前に参加した体験教室のことを思い出して、あの時記念にいただいて持ち帰った色紙を改めてよく見てみたら、落款が今回募集されている方と同じ名前だ!と気づいて、これはもしかしたらご縁があるかも、と思いました」

 

“一門”としての活動

橘流寄席文字一門としての活動について、ご存じない方も多いだろう。演芸場で見られる寄席文字の全て、めくり、木札、看板の筆耕をはじめ、その他寄席文字を使うアイテムの依頼を引き受けたりと細かな仕事も多い。

「一門では師匠方が寄席の書き物をこなしたり、あとは芸人さんや落語会等の主催者さんからの依頼でめくりやチラシ等を筆耕するというのが主な活動で、その他にも寄席文字が使われる様々なアイテムの制作も担ったりしています。あとは演芸場とは別に噺家さんからの依頼でめくりやチラシなどを筆耕したりもしますし、寄席文字が使われる様々なアイテムの制作を担っています。また、寄席文字普及の活動もしており、現在は関東だけなく、中京・関西地区にも一門がいますのでそれぞれの地域で教室を開講し、多くの方が寄席文字を習われています」

ORGAN CRAFTでは、過去に噺家の「桂佐ん吉」さんを取材する際に、米朝事務所に訪れたことがある。過去に橘流の文字に取材を通して出会えていたかもしれないと思うと、この出会いも必然であったかもしれない。

 

生きるだけで満身創痍、余計なことは考えられなかった

寄席文字の世界へ飛び込んださつきさん。「一門」という団体での活動は楽しさもあることながら厳しいことも当然たくさんあるだろう。これまで心が折れそうになったことはないのだろうか。

「始めたのが28歳だったので、今から考えればまだ若かったけれどその時は挑戦するならやりきりたいという気持ちと覚悟を決めて寄席文字を始めたつもりだったし、直接文化的なことに関われるようなお仕事に就くチャンスなんてなかなか巡ってこない。だからこそ辞めるとかそういったことはあまり考えたことはなかったですね。目の前のことに追われるだけの、ただただ必死にしがみつくような思いで過ごした日々でした」

そしてめくりめくように過ぎる毎日の中で修業からだんだんとご本人の個性や、穏やかな性格も相まって様々な依頼が飛んでくるようになる。後編では、さつきさんが手掛ける現在の仕事内容や寄席文字業界の未来について迫る。

INTERVIEW & TEXT:Mitsuaki Furugori
PHOTO:Fumihiko Ikemoto(PYRITE FILM)
SPECIAL THANKS:荒川ふるさと文化館

橘 さつき

http://www.umon16.com/index.html

橘流寄席文字一門 寄席文字職人
https://twitter.com/v3rF7nIv6rHGLPw

静岡県出身。
実践女子大学卒業後、印刷会社に就職。友人と見に行った演芸と音楽の複合イベントをきっかけに落語に興味を持つ。その後、荒川区が手掛ける「匠育成事業」に応募、師匠である橘右橘氏に師事。修業期間を経て、平成29年「橘流寄席文字一門」として「橘さつき」、令和4年に勘亭流文字で「荒井三都季」の名を許される。同年、荒川区伝統工芸技術保存会会員となる。勘亭流文字、寄席文字、江戸文字と3種の文字を書きこなせるよう、引き続き鍛錬を続けている。

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