JOURNAL

HIROSHI KONDO

前編

東京にのこる唯一の醤油蔵

日本人の食に欠かすことのできない調味料「醤油」。701年に制定された「大宝律令」には、醤油のルーツとされる「醤」をつくる役職に関する記載があります。現在の日本人にとっても、何かしらの料理を通じてほぼ毎日、口に入れていると思います。とても身近な調味料ですが、東京ではひとつしか醤油蔵は残っていません。今回は「近藤醸造」の四代目、近藤寛さんに醤油づくりに関する思いを聞いてきました。

蔵の歴史と時代の変化

渡會:醤油のいい香りに包まれて、感動しています…!今日は、とても楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いいたします。
近藤:こちらこそ、よろしくお願いいたします。

渡會:あきる野は、東京とは思えないほど自然に囲まれたいいエリアですね。
近藤:そうですね。私たちのお醤油は、西多摩地域の自然が育む井戸水を使ってつくっています。

渡會:すばらしいですね。近藤醸造さんは、東京では珍しい醤油の蔵元なんですよね?
近藤:はい、今となっては、珍しくなってしまいました。東京にも昭和53年には22軒の蔵元がありましたが…。

渡會:そんなにあったんですか!?
近藤:そうなんです。私の父である3代目の時代はかなり厳しく、このままでは商売を続けることが難しいのではないか…という思いが常にあったようです。高度経済成長の時代で日本の景気はどんどん良くなり、人々はブランド志向となりました。私たちのような昔からある小さくローカルな醤油を使っているのはかっこ悪い。貧乏くさい存在になってしまったのです。ブランド力のある大きなメーカーの醤油が支持されてて、一般家庭で使われるようになりました。

渡會:今の時代とは、付加価値のつき方が真逆ですね。
近藤:聞いたところによれば、うちの蔵の醤油をつかっていることがご近所に知れたら、バカにされて恥ずかしいから、夜に配達に来てくれと頼まれたそうです。

渡會:なんと…。時代が違うとはいえ、ひどいですね。
近藤:本当に辛い時代だったろうと思います。3代目はホームセンターに鞍替えしようと本気で考えていたようです。私にも「継いでほしい」とは一言も言いませんでした。

家を継ぐきっかけは恩師の言葉

渡會:苦労を知っているからでしょうね。でも、結果的には、近藤さんは4代目として、醤油蔵を継いでいくことになるんですよね?どうして、継ぐことにしたんですか?
近藤:生まれも育ちもあきる野で、中学校くらいまでは将来は家を継ぐのが当たり前と考えていました。小学校の卒業文集にも、将来の夢を「お醤油屋さん」と書いています。高校に上がると、関わる社会が少し広くなって、家を継ぐことは当たり前でもないんだろうなぁと思うようになりました。部活で野球もはじめたので、毎日練習でしたし、将来のことを真剣に考えるような余裕はなかったですかね。

渡會:なるほど。大学ではどんなことを学ばれたのですか?
近藤:醤油屋を継ぐことになったとしてもこれからの時代は醤油をつくっているだけでは生き残ってはいけないだろうと思っていたので、経営を学びに商学部に入りました。金融にも興味があったので普通に就職活動もしましたよ。家を継ぐか、悩みながらでしたが。

渡會:家を継ぐことした決め手はあったんですか?
近藤:恩師に相談したんです。そうしたら「ご両親が必死に守ってきたものを継ぐのは、素晴らしいことだと思う」と言われたんです。学生ながらに、絶やしてはいけない日本の大事な文化だということも分かっていましたし、継ぐことを決心し、3代目に相談しました。

渡會:恩師に感謝ですね。大学を卒業してからはすぐにここへ?
近藤:父には、継ぐにしても外の世界を見てから帰ってきてほしいと言われていました。他の醤油蔵で修行してくることを勧められ、父のつてで、宮城にある醤油蔵で勉強させていただきました。

渡會:どんなことを学んだのですか?
近藤:お醤油づくりの、始めから終わりまで、基本的なことをすべて学びました。醤油づくりを5つの分野に分けて、2~3ヶ月ずつローテーションして、1年間。醤油づくりだけでなく、一人暮らしも体験してきました。家に帰ってきてしまえば、一人暮らしできないと思ったので。東京から来た若者を、近所の人はみんな親切に迎えてくれて、野菜やお米をわけてくれました。とても貴重な体験でしたね。

渡會:人のあたたかさに触れる体験は忘れがたいものがありますね。家に戻られてからは、どのような職務をこなしてきたんですか?
近藤:平成9年に戻ってきて、はじめは製造からスタートし、直売店の運営や、配達、経理など、仕事はすべてやりました。父が亡くなる前に、経営に関することも学びました。

渡會:もう20年以上、近藤醸造で醤油づくりに携わっているんですね。その仕事の中で大切にしてきたことは、どんなことでしょう?
近藤:お客様に、安心で安全な醤油を届けることです。うちの醤油に使っている大豆と小麦は北海道産です。国産の信用できる原材料をつかって、発酵熟成に1年かけています。大手のメーカーだと半年ほどで出荷されるものもありますが、私たちの醤油は、1年じっくり時間をかけることで「塩角がとれる」という表現をよくしますが、しょっぱさが丸くなります。加えて、旨味の成分もよく抽出されて、味に深みとまろやかさが生まれるんです。

後半は、近藤さんのクラフトマンシップを掘り下げていきます。

TEXT:Shuhei wakiyama(M-3)
Photo:Fumihiko Ikemoto(PYRITE FILM)

近藤 寛

1973年東京都西多摩郡五日市町(現・あきる野市)出身。
大学卒業後、宮城県内の醤油醸造企業にて修行。1997年近藤醸造元(現・近藤醸造株式会社)入社。
五日市街道沿い、秋川渓谷の入口にあり、醤油造り一筋一世紀を歩む近藤醸造株式会社は、創業者近藤五郎兵衛の五をとった「キッコーゴ」を商標とし、その代表商品『キッコーゴ丸大豆醤油』は、代々伝わる醤油造りの技と手造りの良さを生かし、一つひとつ心を込め造り上げられた日本ならではの素朴な風味を持つ。多様で奥深い醤油の魅力を伝えながら、地域産業の発展にも貢献するべく活動を続けている。

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