JOURNAL

NAOKI WAKITA

前編

「オルガン」は、楽器の姿になった自分の分身

「オルガネッタ」という楽器をご存じだろうか。実はオルガネッタは脇田直紀さんが発案した独自の手回しオルガンの名前である。脇田さんは、山梨県にある「萌木の村」でオルガネッタを作り続けている職人であり、企画・デザインから制作までの工程をすべて1人で手掛ける稀有な存在でもある。そんな脇田さんのこれまでの軌跡と、そのクラフトマンシップに迫る。

偶然に導かれて

オルガンとの出会いは、脇田さんがまだ小さかった頃にまで遡る。海外特許の法律事務所に勤務していた父の友人で、たまに自宅まで訪ねてくる不思議な人物がいた。それが、今は亡き日本のオルガン制作の第一人者であった辻 宏氏(※1)との出会いだった。

※1
辻 宏(つじ ひろし 1933-2005)は日本のパイプオルガン建造家。オルガン奏者。イタリア共和国・ピストイア市名誉市民。日本では2003年黄綬褒章を受賞。

「私は当時、まだ幼かったこともありまして、辻さんのことは親父の友人で、たまに家に遊びにくる少し変わったおじさん(笑)、くらいの印象でした。辻さんはその当時暮らしていた神奈川の座間市でオルガン作りをしている方だとは聞いていましたが、特にその話に注目するわけでもなくて。しばらくすると、辻さんが『今の工房ではスペースが十分に取れないから』という理由で、岐阜県へ移住してしまったんです。岐阜県では廃校になった校舎の跡地を使えるということで、ご近所との騒音問題やスペースの不十分さなどの問題も解消。伸び伸びとオルガン作りができる環境で、とても仕事がしやすくなって喜んでいるとの話は聞いてはいたんですが」

 

モノづくりの現場を見て 

 それから数年後、父親と共に岐阜にある辻さんの工房へ訪れる機会があった。

「その頃、私は高校生だったのですが、初めて辻さんのオルガン工房を見たときに『なんて楽しそうなことをやっているんだ!自分もいつかこんな仕事がしたい』と思いましてね」

というのも、脇田さんは小学生の時に自分は手先が器用で細かい作業が好きで自分に向いているということに気づいてからは、将来は漠然とモノづくりの道を歩みたいと考えていた。

「小学3年生の夏休みの宿題の工作として戦艦大和の模型をゼロから自分で作り始めたんですが、最初は軽い気持ちでスタートしたのに、細部にまでこだわるうちにとうとう夏休みの1ヶ月では完成しなくて。でも諦めずに毎日コツコツと作業を続けて、やっと納得のいくものができ上がったのはなんと半年後だったんですが、でもその時に初めて自分の手で物を作る楽しさと、自分の細部まで作り込める手先の器用さに気づいたんです」

「私は幼稚園から高校まではずっと一貫して玉川学園に通っていたんです。両親が教育熱心で。僕が3歳のときに、その当時暮らしていた街からできるだけ学校の側の街まで引越しをするほど。ところが、私は勉強が嫌いで嫌いで仕方がなくて(笑)。でも、美術の時間だけは好きでした。半年かかって作り上げた模型を美術の先生に見せたら『こんな物を作れるなんて君は天才だな』、『何年かに1人の逸材だ』って褒めてくれたんです。算数や社会科などの勉強は嫌いだったので、他の教科の先生たちからは『勉強ができない子」って思われていたんだろうけど、美術の先生だけは『この子はすごい!』と、当時は思ってくれていたようです」

 

人に認められる喜び 

余談だが、今でもその戦艦大和の模型は、脇田さんが卒業した玉川学園内のガラスケースに大切に保管されているのだという。そして時が経ち、いよいよ高校卒業というタイミングになった時、進学はせずにそのまま辻さんの工房で働きたいという意志を父親に伝えた脇田さん。

「私はその当時オルガンのことなんか何も知らないし、特に楽器が好きとかいう気持ちはなかったんですが、工房で見かけたあの作業光景が忘れられなくて。最初父親は反対していたんですが、最後は根負けして。父親自らが辻さんに頼み込んでくれて、晴れて辻さんの元で修行をさせてもらえることになったんです」

しかしそこで学生時代に手先が器用だという自負があった脇田さんは、素人のお遊びレベルとプロの差をまざまざと見せつけられたという。脇田さんは、師匠である辻さんからは「プロであるためのすべてを教わった」と語る。

 

人生の師、辻宏の教え 

 「教えていただいたことのすべてが、後の役に立っているんです。例えば、当初は、すべての作業を丁寧にやることがモノづくりの良さや醍醐味だと思っていました。入ったばかりの若手だと、最初は簡単な作業しか任されないんですが、その作業をゆっくり丁寧にやっていたら、辻さんが『その作業にそれほどの時間をかけていてはダメだ』と私に言ったんです。その理由を聞くと『取り立てて重要でない作業は時間をかけずに、速やかに終わらすことが大事。そうすることで、すぐに次の作業にも進むことができる』と。次のプロセスでは、今よりは少し難しい作業ができ、自分の成長にも繋がり、全体の作業時間も短縮できると。やるべきところは徹底して丁寧に。それ以外の箇所はある程度の力でやることも仕事のやり方のコツだと。そんなバランスを自分の頭で考えて見極めることが大事だってことを深く教わりました」

そして脇田さんはがむしゃらに辻さんの元で修行を続けていくうちに、いつの間にか11年もの歳月が流れていたという。後編では、辻さんが手回しオルガンのオルガネッタ制作のきっかけや現在の仕事についてを語る。

INTERVIEW & PHOTO:Daisuke Udagawa(M-3)
TEXT:Yumiko Fukuda(M-3)

脇田直紀

http://www.moeginomura.co.jp/

萌木の村 博物館 ホール・オブ・ホールズ パイプオルガン職人
脇田直紀
http://www.moeginomura.co.jp/
http://orgenetta.com/

1965年生まれ、東京都出身。
幼稚園から高校生まで一貫して玉川学園に通う。高校卒業後は岐阜県の辻オルガンで10年以上パイプオルガン製作を学ぶ。並行して20歳頃に自動楽器に興味を持ち始め、1990年に手回しオルガン「オルガネッタ」を1人で完成させる。「萌木の村」社長の舩木上次さんに誘われたことがきっかけで独立し、「萌木の村」内に1995年に自身の工房を構える。楽器の修繕作業を日々行いながら個人や企業からのオーダーを受け、分業制ではなくただ1人でデザインから製作までを手掛けている。