JOURNAL

SHIDO AKAMA

前編

型にハマらない、“書芸家”としての活動

墨象(ぼくしょう)という言葉をご存知だろうか。1945年頃から広がりを見せた新たな書道の手法で、墨で象(かたち)を表現する造形芸術だ。近年では、造形物や広告物に取り入れることが珍しくなくなってきた。今回は、デザインとしての“書”を追求し、今や著名なグローバルブランドや企業から引っ張りだこの赤間紫動さんに、現代の需要に合わせて作品を生み出す創作活動について伺った。

幼少期に習った書道を再開するまで

─現在、様々な業界とのお取組みでご活躍中の赤間さんですが、書芸家としてのキャリアはいつから?

赤間:幼少期に親からの勧めで習い事の一環として書道を習い始めました。その頃は特段大きな理由があったわけでもなく、“字がうまければ頭が良く見える”くらいの単純な理由だったと思います(笑)。

中学生になり、興味も薄れていき一旦は辞めてしまいました。

─その後、いつどんなきっかけで再開されるのですか?

赤間:2003年ですね。以前会社でマーケティングを担当していて、広告物のデザインのために書道文字が必要になって、自分が書かせていただくことになりました。それが結構評判が良くて。

結構大きな会社さんとのお仕事だったから、“あ、これはもしかしたら世間でも通用するんじゃないかな?”と、軽い気持ちからの再スタートでした。(笑)

─それからどんな活動を?

赤間:自分の表現したいテイストに似た感じの師匠を探して、10年ほど師事させてもらいました。書道って流派があるんですが、セグメントしながら最初は結構リサーチしましたね。

修行期間にお仕事を請けるのはNGだったので、楷書や行書など基本に立ち返って級や段をステップアップさせることに注力していました。

ビジネスとしての書芸家活動

─書芸家さんのお仕事の進め方、全然想像がつきません。

赤間:そのまま半紙に書いて納品することもあれば、クライアントさんによってはデータにして納品してほしいといった場合もあります。洋服にプリントしたりするような、広告以外の使い道になってくるとほぼデータ納品です。

─一発勝負でしょうから、物凄い集中力が要求されますね。

赤間:今だからこそ出来る手法ですが、1文字1文字をたくさん書き、それをデータ上で合成して1つのワードにするということもあります。一発書きじゃなくパーツ納品で良い世界にはなったものの、その分1文字に対しての魂の込め方というか、違った集中力は必要になったなって思う。

例えば「NO COFFEE」さんと「MORTAR」さんのコラボスケートボードのお仕事をした時なんかは1つ1つのワードで各6時間くらいかけて200枚以上は書きました。

他の業種と比べると、パーツは全て一人が担当する形なので、変えが効かない。その分1本筋の通った、唯一無二の作品を仕上げることができます。

書芸家の道を目指すプロセス、活動の幅を広げるには

福岡の人気コーヒー店「NO COFFEE」とスケートボードのセレクトショップ「MORTAR」のコラボデッキ

 ─書芸家として活動していくまでのプロセスは?

赤間:書芸家って、結構誰でもなれるといえばなれると思うんですよ。免許や資格がないから、名乗ってしまえばもう書芸家なんです。 比較的ハードルは低い職種じゃないかな。自分がこの道を選んだ理由も1つそれがありますし。

だからどちらかというと名乗ってからの活動をしっかりと考えていったほうがいい。どんな営業スタイルで攻めていくか、とか。

─今では発信できるツールがたくさんありますしね。

赤間:そうですね。SNSなど、表現手法やアプローチの方法はいくらでもある。僕の場合、活動初期はSNSがまだ今ほどスタンダードになってなかったからほとんどが知人経由で紹介していただいてお仕事が増えていきました。今でもそういった直接的な方法は大事だと考えています。

─赤間さんはどんな経路で問い合わせが来るんでしょう?

 赤間:僕はwebサイトを作っていないので、ほとんど新規の問い合わせはinstagramで来ます。書の世界はレーティングのない世界なので“これでいい”と思った段階で世の中に出せる。だからこそこれから活動されていく方はどのレベルで発信できるツールに作品を載せ始めるべきか悩むんじゃないかな。

そう言っている自分もinstagramに載せ始めた当初は全然オファーはなかったです。人伝いでクライアントと成り得る人に情報が行き届いてから作品を確認してもらい、問い合わせをいただくといった流れを作ることが出来ればだんだん仕事が回り始めるのではないかと。

流れが変わった1件の仕事

ストリートを席捲したブランド「Shantii」のTシャツ

HARE×ASICSのコラボコレクション

 ─何もオファーがない時代から、流れが変わったきっかけはありますか?

赤間:1番のきっかけは俳優の村上淳(以下ムラジュン)さんがディレクションするアパレルブランド「Shantii」の仕事がどうしてもやりたくてこちらから逆オファーをしました。

ムラジュンさんは同世代で憧れの対象だったし、仕事のスタイルやセルフブランディングの仕方も好きだったから。

その後、なんとムラジュンさんから直接連絡が奇跡的に返ってきたんですよ。

─まさかの展開。

赤間:そうそう。2019年だったと思います。自分のinstagramを見てくれて、作風を気に入ってくれたのかトントン拍子に話が進んでいき、自分の書いた文字がプリントされたTシャツが発売されました。本当に思い立ったら行動してみるって大切だなと実感した出来事でしたね。Shantiiとのお仕事をさせていただいてから「ムラジュンさんのインスタ見て問い合わせしました」など相当反響がありました。ありがたい限りです。

─貴重なお話ありがとうございます。後編では、赤間さんの作風や書芸家としてのスタイルに迫っていきます。

 

INTERVIEW & TEXT:Mitsuaki Furugori
PHOTO:Fumihiko Ikemoto(PYRITE FILM)

赤間紫動

https://www.instagram.com/shido_ak/

1975年東京都生まれ。
幼少期より書を学び、2003年より書芸家として活動開始。書道技法と現代デザインを融合した躍動感のある独自スタイルが国内外で高く評価され、ファッションブランドを中心にアパレル等のコラボレーション商品をリリース。広告・カタログ・ロゴデザインなど数多く手掛けている。

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