JOURNAL

KUNPEI NAKATAKE

前編

言葉の代わりにアートを

根津駅から徒歩5分、閑静な住宅街を抜けると、そこに現れたのはヴィンテージマンション。東京大学と東京藝術大学の中間地点に位置し、今後ビジネスやアートシーンで活躍する次世代のプロジェクトを支援する地域創生コミュニティ「花園アレイ」がある。その中で体験できる「タフティング」という聞き慣れない手法で制作できるラグ。徳島県の伝統的な技術とデザイン性や現代のマーケティングを融合させた活動を行うことで、感度の高い若者や新進気鋭のアーティストから支持されているオリジナルラグ作り。今回は、そのワークショップを妹の千友梨さんと共に運営する、主催者である中武薫平さんのクラフトマンシップに迫る。

自己表現としてのデザイン

「全然喋らない子供だった」そう自分の幼少期を回想して話してくれた薫平さん。とにかく黙って黙々と自分の感情や思いを作品や絵に描き続けていたという。言葉ではなく別の形として作品に、そんな感覚が幼い頃からあった。

「それが、いわゆる自己表現だったのかもしれないですね。妹から聞いて自分では覚えていないんですが、僕が小学生だった時に図工の時間で先生に『もっと、こうしたほうがいい』と指導されたことがあるそうなんです。それがすごく嫌で家でそのことをどれだけ嫌か話していたらしく。普段口数の少ない僕が珍しく『納得がいかない、嫌だ嫌だ』と連呼していたことを妹が覚えているとか(笑)」

 

原点に返って、自分を見つめ直す

デザインに関することには幼い頃から感心があったように思う、と話してくれた薫平さん。中高は運動部に所属し、進路に関しても特にやりたいことが見出せず、工業系の大学を受験したのだが……。

「現役で受けた工業大学は不合格だったんです。で、ふと立ち止まって考えた時に『浪人してまで、本当にその道に進みたいのか?』って自分に問いかけてみて。その結果、将来自分が特に機械系の職種に就きたい訳ではないと気づいたんですよね。それで自分が本当にやりたいことはなんだろう?って思った時に、昔からモノづくりが好きで、それを続けていきたいと自然に思うようになりました」

自分の本当の想いに気づいた薫平さんは、進路先を変更し多摩美術大学を受験することに決め、次の年に見事合格。そこでプロダクトデザインを学んだ。

「卒業後、最初の就職先はアパレル会社でした。そこでデザインやグラフィックや企画などを担当し、その後はフリーのデザイナーとして活動しつつ、『KIENGI』という大学時代の先輩たちが立ち上げた合同会社に所属し、今も活動をしています。『KIENGI』ではムービーやミュージックビデオの制作、また撮影クルーとしてディレクションなども手がけています。大学でプロダクトデザインを学んだので、その経験を活かして最近では寝具のスタートアップ企業からの依頼でAIが入った枕のデザインなどにも携わっています」

そんなマルチな才能を持つ薫平さん。タフティングに興味を持つようになったきっかけを伺うと。

「元々グラフィックをやっていたし、プロダクトデザインをする際に家具も手がけていたので、ラグはその中間にある存在だと思っていて。それで次第に興味を持ったことがきっかけ。最初に作り始めた時は、完全に趣味のつもりでした。ラグを始める前からやっていた自分の洋服のブランドの一環として『ラグも売り出せたら良いな』くらいの軽い目標くらいはありましたけど、今みたいな活動をすることになるとは始めたばかりの頃は全然考えていませんでした」

 

徳島の工場「MIYOSHI RUG」との出会い

日本では聞きなれない「タフティング」という制作方法については、当時タフティングについては、日本語での情報は皆無だったため、海外のページや、YouTubeの動画を全て見て情報を集めたという。そして「これなら自分にもできそうだな」と思い、タフティングガンを手に入れ、今までの創作の知識と自分の勘を頼りに作品を作ってみたのだという。

「自分で初めて作った作品をインスタグラムにあげたら、1週間後くらいに徳島県でラグ作りをしているという経営者の方から『タフティングしている現場を見たい。明日伺ってもいいですか?』と連絡を頂きました。それが、今一緒にやっている『MIYOSHI RUG』(三好敷物)さんです」

 

東京と徳島、2つの土地を結ぶ絆

徳島の「MIYOSHI RUG」からの「現場を見に行ってもいいですか?」オファーを快く引き受けた薫平さんは、その際にワークショップをやりたいけどどうすればいいかな、という相談を受ける。

「それなら場所は東京の方が良いんじゃないかということで、当初はカジュアルな感じでスタートしました。僕も何度か徳島へ行って代々伝わる手法を教えていただき、たくさんの技術を得ることができました。数十年間技術を積み重ねてきたバックボーンがあって、それを教えてもらえたからこそ、今のような活動ができているんだと思うんです。最初の方で特に難しかったのが、色と色の境目の部分。この部分をはっきり分ける技術や、ラグの柔らかさの調整方法、文字をきれいに表現する技術は特に教えてもらわないと難しいと思います。僕にとってもすごくいい勉強になったし、自分一人では絶対にできなかったと思うんです」

後半では、コロナ禍でおうち時間の充実させる需要が高まってきており、ラグ自体の受注量は増えているのに、生産者の継外がいないという問題とどう向き合うかなど、ラグ工場との連携や薫平さんの今後の目標などについてもお伺いしていく。

INTERVIEW & PHOTO:Daisuke Udagawa(M-3)
TEXT: Yumiko Fukuda(M-3)

中武薫平

https://kekerug.com

「KEKE」タフティングデザイナー
中武薫平
1995年生まれ、宮崎県出身。

多摩美術大学プロダクトデザイン学科卒業。アパレル会社で企画開発とグラフィックデザイン、SNS運用などを担当したのち、フリーランスとなる。デザイナーとしてKIENGIに所属。現在は徳島県のラグ工場MIYOSHI RUGと共同でタフティングのワークショップやラグ作りの伝統を幅広い層に届ける活動を行なっている。ワークショップももちろんその取り組みの1つ。

HP https://kekerug.com
Instagram @keke_rug @miyoshirug

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