JOURNAL

YUKO OKAZAKI

後編

華麗なる経歴より、今もなお挑戦し続ける理由

ファッション業界という華やかな世界を経験後、地方で陶芸家として弟子入りを決意した岡崎さん。会社には退職の決意を伝えたものの、つてもなく、陶芸経験も無い素人がどうやって人気陶芸家という地位までたどり着いたのか。後編はそんなお話。

まっさらな状態でのスタート、無謀なチャレンジ

「陶芸雑誌を穴が空くほど読んでいくなかで、顔写真付きのインタビュー記事が掲載されていた森田榮一さんを5月の連休に笠間市で開催していた陶器市で発見したんです。藁にもすがる思いで、自分の気持ちと弟子入りしたいという気持ちを伝えました。しかし『もうすでにお弟子さんがいるので雇えないけど陶芸を志す若者を見捨てるわけにはいかないから』と、連絡先を交換してもらい、1ヶ月半程あとの広尾での個展に呼んでいただいたんです」

個展初日に行き、その後の打ち上げに参加したところ広尾にあるギャラリー『旬』のオーナー幸義明さんが後押しをしてくださったのだという。

そこで見事に弟子入りが決まり、岡崎さんは有頂天だったというが、周りの反応は冷やか。特に両親は、かなり理解に苦しんでいたという。そして、家出同然で東京から茨城県へ移住する。周りの友人たちは、親友を除き、口々に『今の華麗な経歴を捨てることになるよ』、と呆れた様子だったという。

本当に自分がしたいことを叶えるために

「茨城県笠間市で家賃2万円の平家の一軒家を借りて、修行しました。姉弟子より良い部屋には住んではいけないと言われていたので、凄く古い家でしたけど、多くの方から「辛くなかったですか?」と聞かれますが、自分のやりたいことに向かっている充実感の方が強かったので、全く辛くなかったです。最初の2年間は先生と口を聞くのも緊張するような関係でしたが、奥様がすごくステキな方だったり、先生も愛情ゆえの厳しさだったりと分かっていたので、雇ってくださる気持ちに応えて、1日も早く技術をものにしなくては、と思っていました」

素地も基礎もないゼロからのスタートだったが、4年半の修行と、最後の半年間は森田さんの推薦で茨城県立窯業指導所(現:茨城県立陶芸大学校)の釉薬科に通い、そこで釉薬(陶器の表面をおおっているガラス質の部分。陶器を製作する際、粘土などを成形した器の表面に薬品をかけて生成するために必要な物質。粘土や灰などを水に懸濁させた液体が用いられる)の勉強を終え、修行期間は無事に終了した。

懐かしい場所で、新しいスタートを

「修行を終えたタイミングで『祖母の家が空いているから、改装してあそこをアトリエにしたら?』『一度東京に戻ってきたら?』と陶芸家になることを反対していた両親も修行期間を黙々と頑張る私を応援してくれるようになっていたんです。それで、晴れて修行が全て終わった頃に、幼い頃から祖父母の家として慣れ親しんでいた今の横須賀市に移り住むことになりました」

その後、結婚を経て2人の娘を出産した岡崎さん。満ち足りた生活を送るかに思われたが、次女の授乳期間に左の乳房に違和感があることに気づく。

人生を見つめなおす機会となった大きな出来事

「人間ドックでも、妊娠中や授乳期間中はマンモグラフィの検査は飛ばされてしまうんです。それで発見が遅れ、結果、乳がんの診断を受けました。ステージは2b。脇のリンパに転移も見つかりました」

半年間の抗がん剤治療を経て、その頃は髪の毛が全て薬の影響で抜け落ちたという。特定の遺伝子に変異が認められる「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」で、乳房や卵巣の予防切除を決断した岡崎さんは、その出来事をキッカケにがんにまつわる社会的な課題の解決をめざす「CancerX(キャンサーエックス)」として活動し、今でも発信を続けている。

「告知を受けた直後は、家族のことや、これからのこと、もしものことなど、色々なことを考えました。幸いにも治療はうまく運び、今でも3ヶ月に1度は検査を受けていますが、それも5年を目処に一旦終了する予定です」

癌の再発は、5年を節目としている。岡崎さんは手術してからあと1年半で5年が経過しようとしている。このまま無事に5年目を迎え、そしてこの先も健康に不安を抱えることなく、創作活動と家族との大切な時間を過ごせることを切に願う。

ゴールはなくても、いつまでも走り続けられることを喜びとして

「修行をしていた時にも感じたことなんですが、幸せとか不幸せは誰かと比べるから出てくる感情だと思うんです。自分が今できること、未来にやりたいことだけに集中していれば、そんな感情はあまり大きな意味を持たないというか。

私にとっての陶芸、モノづくりにはゴールがないようなイメージがあります。終わりがないから追求し続けるしかない、何かができるようになれば次の課題や壁に当たるし、飽くなき探究心のようなものを持ち続ける事だと感じるんです」

最後に岡崎さんは、自身の作品の特徴でもあり、代表する色としても有名な白い陶器を手に取り、こう続けた。

「自分の中で今まで色々なものを目指してきたけど、今は陶芸で、そして幸いにもそれをやめようという気がずっと起きないどころか、ずっと続けていくことしか頭にないんですよ。

陶芸を始めて現在21年目ですけど、私の中での何かに没頭したものの最長記録なんです。それだけ陶芸が好きで続けていられているという事実。それは私の人生の中で、とても大切で特別なものだと思っています」

風に揺れる白い花のように美しく、そして咲き続ける芯の強さも兼ねた笑顔で、彼女は話してくれた。その横顔は、これからも素晴らしい作品を創り続けていくことを示唆してくれた。

INTERVIEW:Daisuke Udagawa(M-3)
TEXT: Yumiko Fukuda(M-3)
PHOTO:Fumihiko Ikemoto

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岡崎裕子

http://yukookazaki.com

陶芸家
岡崎裕子
1976年生まれ、東京都出身。
@yukopottery

聖心女子学院卒業後、20歳の時に株式会社イッセイミヤケに入社し広報部に配属。3年後に退職し、2000年に茨城県笠間市の陶芸家・森田榮一氏を訪ね師事。4年半の修業の後、笠間市窯業指導所釉薬科/石膏科修了。28歳で帰京し、都内2箇所の陶芸教室に勤務。現在は横須賀市の自宅に陶房を構え独立。陶芸活動に励んでいる。32歳の時に初個展を開催し、その後各地で個展を催している。

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