JOURNAL

YUKO OKAZAKI

前編

人の手から人の手へ、暮らしの中で繰り返される奇跡

食卓を囲む際には、料理の他に必ずそれをのせる“器”が必要となってくる。人の手から人の手へ渡り、運ばれていく。時には世代を超えて受け継がれ、家族の食事シーンを思い浮かべる時には、その思い出の一部となっている器。現代においても、古代から変わらず土から創られる。一人静かにその作業に向き合うのは、キメの細かい白い肌、そして繊細で華奢な身体、そんな見た目からは想像もできないほど力強く凛とした陶芸作品を数々生み出す岡崎裕子さん。そんな岡崎さんのクラフトマンシップとは?

“美人すぎる陶芸家”として「スズキアルト」や「三菱地所レジデンス」などのCM出演でも知られる岡崎裕子さん。小学校から短大までミッション系の女子校育ちで、英語が堪能。誰もが羨む美貌と才能と知性を兼ね備えた彼女は、いかにして陶芸家としての険しい道を志したのか。周囲からは順風満帆に見えた彼女の心の葛藤と、真に自分の進むべき道をみつけるまでのストーリー、まずはその始まりから。

一度は諦めかけたモノづくりへの思い

「厳格な両親は、高校生だった私が付属の大学へは進まず、美大を志すことを良く思わなかったんです。モノづくりが好きな事は小さい時からずっと変わらず、それは親も分かっていました。でも女の子は『趣味程度に絵を描いたり、モノをつくったりするので十分。一般的な教養を持つ方が大事』という考え方で。結局、私と両親の間での考え方の溝に折り合いはつかず、そのまま付属の短大へ進学しました。でも結局創作への道を諦めきれず、短大を卒業した後にニューヨークにあるパーソンズ美術大学(Parsons School of Design)へ入学する為に6月から8月末まで単位を先に取る為のサマースクールに申し込みました」

ちょうどその頃、そんな岡崎さんに知人が「3日間だけのアルバイト」として、服飾デザイナー、イッセイミヤケがショーの為に日本に呼び寄せた海外モデルのアテンダーを短期間ではあるが探しているのでやらないかという話を持ちかけてきた。短期間ではあるが、小学校から短大まで一貫して英語に力を入れてきた学校を卒業しているだけに、岡崎さんの語学力を買っての申し入れだった。

「期間も短期間で、比較的時間に余裕があった私は軽い気持ちでそのオファーを受けたんです。そこで三宅さんやモデルの方々と常に一緒に行動し、食事をしたり買物をしたり、常に寄り添って行動していく中で、気に入っていただき『今後は、プレス(広報)アシスタントとしてイッセイミヤケで働いてみないか』というお話を頂きました」

『イッセイミヤケ』からの直接のオファー

ただもう既にニューヨークの学校に入学を希望していたことで、心は激しく揺れ動いた。しかし本入学は諦めたものの「サマースクールを終えた9月入社という条件なら」と、大胆にも条件を付け交渉したところ、快く承諾してくれた企業側の対応や、一流ブランドで働くことでクリエイティブな世界の中で働けるチャンスだと思い、最終的にはそのオファーを受けたのだという。

その後は、6月から8月末までの3ヶ月間ニューヨークで学び、帰国して9月から正社員として雇用され『イッセイミヤケ』のプレスとしてのキャリアがスタートする。

誰がどう見ても順風満帆かつ、羨望の眼差しで眺められるような経歴を辿っているかのように思われたのだが。

「プレスという職種で働きはじめた当初は、右も左も分からないような状態でのスタート。学ぶことや覚えることで頭がいっぱいになり、夢中になっていきました。クリエイティブな方々とご一緒することも多く、仕事も楽しく満足していました。でもあるとき、A-POCという新しいプロジェクトを立ち上げる際に、私がその専属という立場になりました」

一握りしか存在しない、本物のクリエイターを間近で感じた

「今までしていた仕事より、より近くで三宅さんのクリエイションの現場を拝見できる機会が多くなり、その迫力やそのプロフェッショナルさに圧倒されました。側で感じる三宅さんのカリスマ性、モノづくりに真摯に向き合う姿勢、プレッシャーに打ち勝つ精神力、もうすべてのことで自分にはこんなことは絶対にできないという、『本物』の方の側にいることで、何か諦めがついたというか……」

移り変わりの激しいファッション業界で、今もなお第一線で活躍し続ける「本物」の才能と努力を目の当たりにして、自分の「モノづくり」に対する気持ちに変化が生まれた感覚、と岡崎さんは続けた。

「服飾デザイナーのような、多くの方々が関わっていくお仕事よりも、自分で好きなものを1から10まで作る手仕事のほうが向いているんじゃないかと悟ったんです。その頃、陶芸に強く惹かれていて。直感として、服も器もどこか似ているというか。生活にすごく関わることができるモノづくりだな、と思ったんです。自分の中では洋服を選んで着ることと、お気に入りの器で食事をすることが日常生活の気分を上げるスイッチになるという意味は同義だと思っていたし、芸術のエッセンスも入っていて生活に根付いているので、陶芸の道に進むことを決意しました」

その後は、書店で陶芸関連の本を手当り次第に読み漁り、陶芸家になる道はどうやら3通り程の道順しかないのだと岡崎さんは知る。1つめは美大で陶芸を専攻すること、2つめは地域の窯業指導所に入所すること。しかしその入所資格が地域に貢献した人が入れるような仕組みだったことで、諦めざるをえなかった。そして最後の3つめは陶芸家に弟子入りすること。

岡崎さんは3つめの選択肢に希望を見出した。

後編では、陶芸家としての修行の日々、突然襲ってきた病のこと、そしてこれからのことなどについて聞く。

INTERVIEW:Daisuke Udagawa(M-3)
TEXT: Yumiko Fukuda(M-3)
PHOTO:Fumihiko Ikemoto

岡崎裕子

http://yukookazaki.com

陶芸家
岡崎裕子
1976年生まれ、東京都出身。
@yukopottery

聖心女子学院卒業後、20歳の時に株式会社イッセイミヤケに入社し広報部に配属。3年後に退職し、2000年に茨城県笠間市の陶芸家・森田榮一氏を訪ね師事。4年半の修業の後、笠間市窯業指導所釉薬科/石膏科修了。28歳で帰京し、都内2箇所の陶芸教室に勤務。現在は横須賀市の自宅に陶房を構え独立。陶芸活動に励んでいる。32歳の時に初個展を開催し、その後各地で個展を催している。

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