南アルプスの恵、白州の水と共に
山梨県で300年、代々続く酒蔵の次男として生まれた北原亮庫さん。地元に根付き、その土地で先祖代々酒蔵としての役割を担う家族の姿を幼い頃から目の当たりにしてきた。歴史ある蔵元の次男として生まれた亮庫さんが運命に導かれるようにして今の立場を背負うまでの歴史と、日本酒の概念を打ち砕く「スパークリング日本酒」誕生の軌跡を辿る。
技術を学んでほしいとは思っていない
修行に行った蔵元では、杜氏がその年に亡くなり混乱の末にその家の娘さんが杜氏を継ぐ展開になった。思い描いていた熟練杜氏からの技術習得の場を失った修行時代一年目。 そんな失意の最中の北原さんに父親がかけた言葉とは。
「『亮庫には、そこで酒造りを学んでくることを求めていない』と父親から言われたんです。『その蔵の人たちと同じ釜の飯を食ってこい』って。確かに不運に見舞われましたが、そこでは色々な発見があって、やっぱりたくさんのことが経験できたと思っています。手探りでやるしかないという状況の中、若手たちがああでもないこうでもないと言いながら試行錯誤して。だからその情熱やエネルギーの中に自分もいて、その熱量で現場が動いていたと思っています。自分も生意気に意見なんか言って現場を改善して、なんとかこの現状を打破して早く軌道に乗せようと必死でした」
そんな状況の中をなんとか修練の3年間をくぐり抜け、自分の蔵元に帰ってきた北原さん。その目には、実家の酒蔵はどう映ったのか。
代々受け継いできた古い体制を変える勇気
「2008年に帰ってきてまず、自分たちの蔵はできていないことが多すぎる、と気づきました。今までいた現場とはかけ離れていた現実を突きつけられ、恥ずかしいとさえ思いました。修行をさせていただいた酒蔵の情熱やエネルギーのようなものは何となく薄く、昔から伝わる短期集中型の名残を残したまま、現代でもそれをなんとなく続けていたんです。例えば、醸造に携わる人たちは会社の中でも花形でなんとなく特別扱い、それで現場の人間は休みが取れない、休みが取れないからストレスが溜まり下の立場の者にあたる、そんな悪循環が密かに繰り返されていました」
そんな状況を目の当たりにし、北原さんは休みをシフト制に変え、裏付けのデータを取って人による不安定な作業は機械化するという改革を行った。しかし最初に北原さんがその提案をすると、現場で働く人々の多くから反発を受けたという。
「現場の合理化を進めることによって『自分の仕事が機械に奪われてしまう』と感じた人が数名いたようです。まるで自分の存在が否定されているような。『本質はそうではない』と言い続け、半ば強引に今までの習慣を変えていきました。それも今では笑い話で、結果現場の人たちから感謝されるようになりました。あの時あんなに反対されたけど、今では『じっくり休みが取れるから嬉しい』って。人はやっぱりオンオフがないとストレスが溜まっていってしまいます。今ではみんなが堂々としっかり休みを取り、自分の生活も大切にしながら働いてくれています。私は組織の環境が仕事のクオリティに反映されると思っているんです。その結果、作り出す日本酒の味にも繋がるものだと思っています」
見学した酒蔵では女性スタッフからも笑顔が溢れ、楽しく仕事に打ち込んでいる姿を多々見かけた。ちなみに北原さんがその改革を行っている最中、それが原因で離職した人はゼロだったという。
1つのブランドに全ての魂を込めて
「さらに改革のひとつとして、当時分散して展開していた自社ブランドを『七賢』1つにまとめました。自分たちにとって本当に必要なものは何かということを考え、乱立していたブランドを1つに絞ることで、良いことも悪いことも背負って『七賢』なんだと腹をくくりました。自分が感じた日本酒の伝え方というのは『米は何で精米は何で、、、』とか、そういうことが長い歴史で表現されてきて『発酵の温度を徹底的に管理している』だとか、技術のことばかりで哲学がなかったんです。海外のワイナリーへ行ったときに、彼らが語ることって技術的なものがほとんどではなく。作り方のプロセスやこだわりをほとんど語らず、その深く根付いたモノ作りに対する哲学を語っていた姿が印象的でした」
「七賢」は唯一無二の日本酒としての哲学を持ち、それからは国内外のお酒のコンテストに出場して入賞を貪欲に求めていった結果、やがて錚々たる賞を受賞することに。そして既に他のブランドが出していたものの、そこまで世間からの注目度が高くはなかった「スパークリング日本酒」を2015年に誕生させた。
シャンパンに代わる、スパークリング日本酒の誕生
「今まであった日本酒のスパークリングは大抵が甘口のものだったんですが、『七賢』は二次発酵というシャンパンの技法を取り入れ、炭酸ガスを注入した造り方ではなく、酵母の力で生まれる炭酸ガスを利用しているんです。基本的に製造をやりやすいというのが炭酸ガスを注入する方法ですが、そうなると大手企業との価格競争に巻き込まれて絶対勝ち目のない戦いになるんです。自分たちのような中小企業がやるべきことは技術を磨くことで、付加価値のある日本酒を造っていくことだと確信しています。そして、日本酒のスパークリングというものを日本酒という枠ではなく新しいジャンルとして確立する。七賢がその役割を担うということを認知してもらうことが私たちの代の仕事ではないかと考えています」
そんな日本酒業界の革命児、北原さんが一番こだわっていることを最後にお伺いすると。
「それは水です。南アルプスから流れてくる白州の水。天然水の特有の柔らかさとか、透明感とかというのをお酒を通して体現したい。この土地の空気感というものをお酒を通して感じ取っていただきたい。いわば、『七賢』を通じて白州の水の偉大さをもっと知ってほしいと考えています」
新しいアイディアと技術を取り入れ、今までの体制を変えながらも、地元の豊かな水を存分に含んだ日本酒に付加価値をつける。伝統を守りながらも革新をし続ける。『七賢』はこれからもますます我々の口を楽しめせてくれるだろう。
INTERVIEW & PHOTO:Daisuke Udagawa(M-3)
TEXT:Yumiko Fukuda(M-3)
北原亮庫
https://www.sake-shichiken.co.jp
北原 亮庫
山梨銘醸株式会社 専務取締役 兼 醸造責任者
1984年生まれ、山梨県出身。
https://www.sake-shichiken.co.jp
七賢 @shichiken_sake (https://www.instagram.com/shichiken_sake/)
北原 亮庫 @rk0107 (https://www.instagram.com/rk0107/?hl=ja)
蔵元の次男として生まれる。韮崎高校へ進学後プロサッカー選手を目指したものの断念し、東京農業大学醸造学科へ進学。卒業後は半年間アメリカの販売代理店で働き、その後岡山県真庭市勝山の辻本店で3年間修行の為出向をした後2008年に蔵元に帰郷。2014年に醸造責任者に就任し、新商品の開発を展開していくなかで、スパークリング日本酒の開発を手掛け高い評価を得る。「SAKE COMPETITION 2017」では若手杜氏No.1に贈られる「ダイナーズクラブ若手奨励賞」を受賞。