JOURNAL

JUNICHI WATANABE

前編

買い換えることは簡単。それでも直したいのは、それがただの物じゃないから

ピアノ工房「ピアピット」。千葉県の自然に恵まれた地域にあり、外観からは一見何をしている場所なのか想像もできない。そして、時々「何屋さんなの?」と聞かれることがあるとか。大手楽器メーカーから独立をし、1人で始めた修理工房が今では従業員17名、著名人や行政のピアノ管理を任されるなど大きな活躍を見せている。そんな、ピアピットの創立者である渡辺順一さんのクラフトマンシップに迫る。

今のように気軽に音楽を聴けない、断片的な方法でしか情報を得られない世代、それも都心部ではない田舎町の片隅で音楽に魅了された1人の少年がいた。若き日の渡辺順一さんだ。ロックやブルースに心を奪われ、お小遣いでラジオを買い、それを片時も離さずに、貪るような音楽漬けの毎日。そんな少年時代を過ごしたという。

やがて青年となり、将来の進路を考える時に自分の中で大きな比重を占める音楽に携わる仕事をしたいと考えるようになる。

そして、高校卒業後はピアノ調律養成所に入所し、そのまま養成所を経営していた楽器を扱う、メーカーに就職をする。

何かの1番になりたい。漠然とそう思った高校生時代

 「高校生くらいのときに、音楽や絵といった芸術的なことに関する仕事に就きたいな、と思って。漠然と、アートや音楽をミックスしたようなことを仕事にしたいなと思って。勉強はやっても到底敵わない相手がいるわけじゃない? どうしても一番になれない。それでやっぱり自分が好きだとか、得意だと思うことをやったほうが良いような気がして。その方が他の人も認めてくれるような気がしたんです」

しかし入社後は、ピアノの調律と修理といった案件をひたすらこなす日々。1ヶ月に90台以上という厳しいノルマがあり、帰宅できるのはいつも終電間際だったという。

「お客さんの自宅や学校など、場所も遠方から近所までと呼ばれる場所は様々で。移動するだけでも疲れてきちゃう。それでも最初は大変だけど楽しいっていう感情が大きかったかな。だって、お客さん達の喜ぶ顔が見られるし、それだけで十分だと思っていたんだよね。修理が終わって、ピアノがまた戻ってきてくれたと喜んでくれる姿を見て嬉しかったし、移動やノルマの厳しさはあってもそういう姿を見て疲れがどこかへいってしまうくらい充実していたことを覚えています」

しかし、渡辺さんはそんな生活の中で徐々に会社への不信感をつのらせていくようになる。きっかけは会社としての業績を追求する中で、どうしても外せない会社としての利益の問題だった。

自分の気持ちと、会社の経営方針とのギャップ

 「私は、ピアノを修理するのが自分の仕事だと思っていたんだけど、会社側の意見は少し違っていたんです。壊れたものを直すとお客さんは喜んでくれるんだけど、会社の上司からは怒られる。何でかと言うと、修理なんかしないで新しいのを売れって言うわけです。新品の在庫を減らして利益を多くあげた方が会社としては優秀な社員だっていうの。会社に運んで修理をしていたら上司が来て『なんで直したんだ!?新しいのを売れ!』って。私は直す為にいるのに、と思って。それでここは自分のいるべき場所じゃないのかも、と少しずつ思い始めたんです」

入社2年目にして徐々に違和感を覚えていったという渡辺さん。売り上げがないとビジネスとして成立しないことは頭では分かってはいたが、どうも心がついていかない日々だったという。

そんな時、渡辺さんにとって決定的な出来事が起こった。

あの時の女の子の声が、今でもずっと心に残っている

 「その日もいつもと同じように、とある家庭に呼ばれて行ったんです。そこで女の子が、『このピアノはおじいちゃんが買ってくれたんだよ』って言うわけ。おじいさんはもう亡くなってて、ピアノを修理してほしいって言うんだけど、私はそのお客さんに会社の方針通り新しいピアノを勧めて買い替えさせちゃった。上司からは『渡辺、よくやった!』って褒められました。

でも、女の子の『なんで直らないのかなあ? 新品より前のものが良かった』って何度も言う声がずっとずっと心に残ってて。普通新しいものに買い替えたら喜びますよね?でも、全然嬉しくなさそうで、心から喜んでいないのが分かって。自分はどうしてあんなことをしちゃったんだろう、って後悔しかなかった。新しいピアノが家に来ても誰も喜んでないし、誰も幸せになってないなって感じました」

物はある時から付加価値を持ち、他人には到底理解できない財産となることがある。思い出がそれだ。誰にでもそういったものがあるだろう。女の子が求めていたのは、ただのピアノではなかった。渡辺さんは今でもあの時の自分の判断が間違っていたと後悔をし続けているという。

何の後ろ盾もないまま独立、それでも迷いはなかった

「それから、会社側と自分の価値観の間には深い溝があると思うような大きなことがあって、入社3年目半くらいした頃だったかな、退社して独立することにしました。基盤もないし、コネとかがあった訳でもないんだけど、その時はもうここでは続けていけないっていう気持ちの方が強かったし、迷いや後悔は全くなかったです」

しかしその後、渡辺さんが独立をしたことを聞いた当時のお客さん達は、会社を通じてではなく、直接渡辺さんにピアノ修理の依頼をするようになったという。

「それで何とか食いつないでいけました。職人っていうのは設備とか道具は最低限必要だけど、結局は腕一本で生きていけます。技術にお客さんがつくし、それでやっていける。そこからなんとかお金を貯めて、この場所を見つけた。それでこんな山の中、1人でピアノ修理を始めることにしたんです」

独立を機に、ピアノという楽器とより深く心を通わせられるようになっていった渡辺さん。後半では、そんな渡辺さんの現在の仕事の様子や今後の展望などについて更に掘り下げていく。

INTERVIEW:Daisuke Udagawa(M-3)
TEXT: Yumiko Fukuda(M-3)
PHOTO:Fumihiko Ikemoto

渡辺 順一

http://piapit.com

「ピアピット」ピアノ工房・主宰
渡辺順一
1961年生まれ。静岡県出身。
<Instagram>@pianopiapit


通称「ナベサン」。千葉県の印西市でピアノの修理、クリーニング、塗装、カスタム、調律、ピアノ教室までを手掛けるピアノ工房「ピアピット」主宰。従業員17名、猫3匹とともに、「とにかく面白ければいい」をモットーに営業を続けている。

「PIAPIT(ピアピット)」ピアノ工房
千葉県印西市浦幡新田50
TEL 0120-311-054
HP http://piapit.com
Twitter @kWhcwKgGy1nItNA

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