JOURNAL

HIROTAKA TOBIMATSU

後編

柔らかい照明の光が作る街の情景

磁器の光を通す性質に着目し、透光性を調整した磁土によるランプシェード制作を行う、磁器照明作家の飛松弘隆さん。画家を目指した少年時代、現代陶芸作家の弟子に就いた大学卒業後のキャリア形成中に、どんな変遷を経て今のスタイルに辿り着いたか、そしてこれからの展望を後編ではお聞きします。

鋳込みを手法に作り続ける10年

─数々の芸術活動を幼少時代から過ごし、磁器作家に。活動をスタートした当初のことを教えてください。

飛松:同時期に大学を卒業した2個上の先輩に、「鋳込み」という製法を用いて磁器を作っている方がいて、ご縁があり一緒にアトリエを構えてモノづくりをしていくことになりました。鋳込みというのは型を作って原料を流し込み、鋳造して形を整えることを言います。大学の時に触り程度ですが鋳込みを習っていたこともあり僕も鋳込みで作品を作っていくようになりました。二人で切磋琢磨しながら、作っては壊しを繰り返す日々でしたね。

 

─鋳込みは高い技術力が求められる製法なんでしょうか?

飛松:繊細な作業が多く、難しい製法だと思います。陶芸においてスタンダードなやり方ではないので、鋳込みをして作ることを選ぶ人は少なかったですね。一人だったらもしかしたら孤独すぎて辞めてしまったかもしれません。二人で挑戦し続けたからこそ、やっていけたのかなって思います。

しょっちゅう壁にぶち当たって、それでもなんとか1つの器を作りあげることを満足いくまで時間をかけてやろうと励まし合いながら。ようやく自分が認める完成度になったのは8年後ほど後のことでした。

 

─それだけの年月をかけてようやく完成したんですね。

飛松:2004年に大学を卒業して、2014年に初の個展を開いたので自分の作品を世に出すまで約10年の期間を要しました。その間はなるべく他の方の作られた作品は見ないようにしていました。

というのも、自分は立体的な作品を作っていた人間ですから食器製作の業界にしたら異端で、どんなものが生まれるか自分でも分からなかった。

それが仮に食器を作っている作家さんのものを見てしまうと寄っていってしまうんですよ。

だからなるべくインプットを減らして自分と向き合う。これはなかなか精神的にもしんどかったですね。

 

ランプシェードを作りはじめるまで

─お皿からランプシェードに主戦場を移すきっかけは?

飛松:修業時代に町田に住んでいた時期があり、古いものの中に新しいヒントが埋まっているんじゃないかなって考えていたので、毎月欠かさず骨董市に行っていました。

一過性のものではなく長く付き合えるものって何だろうと思っている中で出会ったのがランプシェード。

ミルクガラスのランプシェードがゴロンと置かれていて、買って帰って自分の部屋に吊るしてみたら世界が変わったんですよ。

 

─世界が変わった?

飛松:当時、家具とかいろんなものに興味はあって、模様替えする時はソファー変えてみたりするけど照明を変えた瞬間に今まで模様替えしたものが全て変わって見えました。

これに勝る模様替えはないなって。そこからは骨董市に行っては照明を探し、照明の歴史など調べていくようになりました。

 

─作るという発想に至ったのは?

磁器で食器を作っている時に、仲間が粘土屋さんからこんなん出てきたよって買ってきた原料が、普通の磁器より更に透光性を増した性質のものを出していて、お茶碗を作ってみたんですよ。作った後にご飯食べてみて、透けたお茶碗を見ながら「これって何の意味があるの?」って話になりまして(笑)

その時に閃いたんですよね。これがランプシェードに適した原料だ!って。

今でも食器は作り続けていますが、ランプシェードをメインでやっていこうと思った出来事でした。2007年のことです。

 

34歳、憧れの場所でセンセーショナルなデビュー

─個展で作品をお披露目をした時のことについて教えてください。

飛松:当時は茅場町にあった“森岡書店”という1冊の本を売る本屋として有名なところがありまして、そちらで開催をさせていただくことになりました。

そこは色んなギャラリーを回られている目の肥えている顧客さんが多く、当時磁器で照明を作っている作家は皆無に近かったので、物珍しさもあり予想以上の反響をいただいたことを覚えています。

─具体的にどんなお声が?

飛松:大多数が既に作家さん同士で繋がりがあったり、見に来てくれるお客さん同士がお知り合いといった方がそこでは個展をやっていることが多いから、僕の作品を見てくれて「なんだこれは?どこからやってきた新星だ?」と。(笑)

自分はどこにも繋がらないで10年間ただ独自に研究しながら作り続けて、いきなり作品を世に出したので、「誰の影響を受けているんですか?」みたいなことを聞かれたとしても「誰の影響も受けてないです」みたいな。

34歳という年齢の作家だと、大体その頃には何回か個展は経験していることが多いと思うのですが、僕は遅咲きのデビューかつ業界では名前が全く出ていなかったので、この逸材は今までどこに眠っていたんだ?といったような驚きを持っていただいたようです。

初個展が終わり、他のギャラリーからお声が掛かるようになったし、作品を取り扱いたいと店舗さんからいただいたり、建築家さんが手掛ける物件に取り入れてみたいと嬉しいオファーが一気に増えましたね。

─思い入れの深い作品を教えてください。

 飛松:シンプルな原型に割り線を残したodd lineシリーズが個人的に好きですね。割り線はこの型で作るからこそできる痕跡なんです。工業製品だと消してしまうと思いますが、僕は敢えて消さずに型だからこそできる証を残したいという考えのもと製作しています。

他にはひだ状のデザインが特徴のfinシリーズ。光の濃淡が綺麗に出るんですよ。磁器の性質が活きるようなフォルムを意識しています。

 

照明が創り出す街並みの美しさ

 ─今後の目標を教えてください。

飛松:以前からヨーロッパの夜景は綺麗だなぁって思っていました。

それは、窓を額縁に見立てて照明を外に見せるように吊る習慣があって。住んでる方が外に向けて自分の家がどう見えるかを意識しているかららしく。

家の窓からこぼれ落ちる灯りが、綺麗な街並みや夜景を作る役割の一部になっているということを日本にもいま一度浸透させていきたい。

その役に立てるような照明を自分が提供していけたら嬉しいですね。

 

─最後に飛松さんにとってのクラフトマンシップとは。

飛松:そうですね…、自分自身の才能を過信せず、常に恐怖心を持ちながら創り続けることが僕にとってのクラフトマンシップかもしれません。

絵も陶芸も、人より長く続けていたから世に出せるような作品を生み出せたと思っているし、元の感覚は一般的かもしれないけど、続けていれば磨かれていくものはきっとあるはずだからこれからも奢ることなく全力で活動していきます。

INTERVIEW & TEXT:Mitsuaki Furugori
PHOTO:Daisuke Udagawa(M-3)

飛松弘隆

http://tobimatsu-toki.blogspot.com/

1980年生まれ、佐賀県出身、東京都在住。
「飛松灯器 tobimatsu TOKI」の屋号で磁器の鋳込みを中心とした作品を発表。
多摩美術大学工芸科陶プログラムを卒業。在学中の型による立体造形の経験を活かし、鋳込み型の技法による器の制作に着手。陶芸家の樋口健彦氏や小川待子氏の助手等を経て独立。
https://www.instagram.com/tobimatsu.toki/

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