JOURNAL

HIROTAKA TOBIMATSU

前編

現実に向き合って少しづつ見えてきた進むべきキャリア

家の中の雰囲気を左右する照明器具。現在、多くの世帯で使われているシーリングライトは、天井に張り付けるような形で高い位置から部屋全体を明るく照らしてくれるタイプのもの。一方、使用している世帯は少なくなった、ぶら下げ型のランプシェードは、組み合わせることで光量をカバーしつつ柔らかい空間を演出し、インテリアとして住む人の個性を際立たせてくれる。今回お話を聞かせてくれる飛松弘隆さんは、光を通す磁器の性質に着目し、透過性を調整した磁土によるランプシェードを製作する磁器照明作家として活動している。幼い頃から芸術家としての道を目指し、現在の職に行き着いた飛松さんのクラフトマンシップに触れる。

絵を書くことから始まった芸術家への道

─飛松さんは磁器照明作家という珍しい肩書きで活動されていますが、そこに行き着くまでの道のりを教えてください。

飛松:僕は出身が佐賀県で、小学校1年生の頃から中学生の最後まで絵画教室に通ってずっと絵を描いている少年時代を過ごしました。そして、中学卒業後は芸術系の高校に入学しました。

─高校では何を学ばれていたのですか?

飛松:高校に入ってから油絵と出会い、風景画を描き続けていましたね。そんな毎日だったから自然と進路は美術大学を考えるようになっていって。

美大に行く目標を掲げて、東京に出る選択肢を視野に、多摩美術大学(以下多摩美)や武蔵野美術大学、東京藝術大学などの油絵科を受けました。一浪はしたものの、多摩美だけ唯一工芸科を滑り止めで受けており、合格することができたので入学することになりました。

多摩美の工芸科は、もともと油絵科の中に組み込まれていた陶芸コースが独立して出来た科だったので、興味を持って受けてみたんです。

─陶芸との出会いは大学で?

飛松:はい。陶芸コースは一般的に思い浮かべる陶芸というよりは一風変わっていて、彫刻的な感じの作品作りを学ぶようなカリキュラムが組まれていて、当時は現代アートに興味もあったので「このジャンルも新しくて面白いな」と。それでだんだんと陶芸に惹かれていくようになりました。

 周りの才能を思い知らされ、立体表現の世界へ

─幼い頃からやっていた絵画から陶芸へ転向した理由は?

飛松:長年絵を描いていると、途中途中で逸材に出会うんですよ。僕よりもキャリアがなく最近描き始めた人が凄い才能を持っているなと気づいて。たくさん描いてきたからこそ叶わないポイントが見えてくるもので。

こんなところにこの色置けないとか、この視点で描こうなんて思わないとか。何もやってなかった人がいきなりびっくりするような作品を描いているのを目の当たりにした時に、どこかで「自分には平面性の表現方法が向いてないんじゃないか?」と思うようになっていきました。

─周りにいる才能あふれる人を見て方向性を変える決断をされたんですね。

飛松:普通はそこで絵をやめちゃう人も多いと思うんですが、僕は表現方法として絵が向いていないだけだと考えていました。色々と模索しながら進むべき道を考えていく中で、立体的なものを使って表現することに挑戦したらどうなるんだろうと興味が湧き始めたというところがきっかけで。その後、実際に受かったのが陶芸コースだったこともあり、それを機に物理的に絵画の世界とは縁を切りました。自分の画材を全て捨てて、描きたいなと思っても道具を一切ない状態にして覚悟を決め陶芸の世界へ飛び込みました。

作家としての下積み時代、市場に対しての悩み


─大学を出てからの進路について教えてください。

飛松:陶芸一筋の大学生活を送っていましたが、先ほどもお伝えした通り一般的な陶芸とは違う教育を受けていたので、当時食器を作るような作家になるつもりはなく、そういう進路を進む生徒もほとんどいませんでした。

僕のいたコースからの一般的な進路としては、大体普通に就職するか、作家としてであれば現代系の陶芸作家になっていくパターンが多く、僕もその道に進むことを選びました。

─最初はどなたかのアシスタントに就くことに?

飛松:はい、大学の非常勤講師の作家に2年間ほど従事させていただき、勉強させてもらいながら修業を積ませていただきましたが、自分が想像していた世界とちょっと差異があったんですよね。

現代陶芸の世界って、注目度が高くて、発表する場も色んなところにあって、若い人でも挑戦しやすい環境下なのかなと思っていたけど、実際はかなり狭い業界だったことに気づいたというか。

─狭いというのは?

 飛松:キャリアを作る上でのステップやルートも選択肢が少なく感じました。

この界隈で活動していきたいならこの先生にアプローチかけて見てもらって、みたいな感じで。現代アートでもそのキャリア形成の方法はあるんですが、陶芸の場合はそれで認められたとしてもそれで名前が売れていくかといったらそんなこともない。

時間かけて「よし、認められた!」と実感しても、狭くて誰も知らない世界だなと思ってしまった。

仮にこれが現代アートの世界だったら、時間を費やして何かに認められることで一気に世界に繋がっていく可能性が高い。それに対して現代陶芸は元々のフィールドが狭い分、同じくらい時間をかけて努力したとしても、可能性が低いと感じてしまった。自分の今後の人生を考えた時に、人生賭けられるか賭けられないかでいったら難しいなと感じたんです。

自身のルーツに導かれるように始めた器の製作

─思い悩む時期を経て、どういった決断をされたのでしょうか。

飛松:自分にとっての“陶芸”とは何だろうと振り返った時に「やっぱり器だな」と改めて思い直しました。僕は佐賀県出身で、有田焼や唐津焼の窯元の息子さんが同じ学校にいるくらい焼物文化は身近なところにあった。自分で今後のキャリアステップを考えると、食器作りという道に進むのがその時の自分にとってベストな選択ではないかなと。

─食器を作った経験はほとんどなかった?

飛松:彫刻的なものしか作ってこなかったので、器は全くと言っていいほど学んでいませんでした。食器の勉強はしていないけど、同じ素材で全然違うものを作ってきた人間が食器を作ったらどんなものが出来るんだろう?と試してみたかったんです。

それから現代陶芸のアシスタントを辞めて、草月流という華道の流派が開催している陶芸教室で助手のポジションをいただき働くようになりました。それをメインのお仕事としながらいよいよ磁器作家として自身の作品作りに没頭していきました。

─紆余曲折を経て磁器作家としての活動をスタートする飛松さん。後編では、ランプシェード製作に至るまでの経緯と作品へのこだわりに迫っていきます。

 

INTERVIEW & TEXT:Mitsuaki Furugori
PHOTO:Daisuke Udagawa(M-3)

飛松弘隆

http://tobimatsu-toki.blogspot.com/

1980年生まれ、佐賀県出身、東京都在住。
「飛松灯器 tobimatsu TOKI」の屋号で磁器の鋳込みを中心とした作品を発表。
多摩美術大学工芸科陶プログラムを卒業。在学中の型による立体造形の経験を活かし、鋳込み型の技法による器の制作に着手。陶芸家の樋口健彦氏や小川待子氏の助手等を経て独立。
https://www.instagram.com/tobimatsu.toki/