“CRAFTSMAN SHIP”
小さなガラス玉の中に、宇宙のような広がりを表現する、ガラスアーティスト森川勇太さん。弊社スタッフの同級生という縁があり、今回、お話を伺いました。「玉響glass」という屋号に込めた思い。サラリーマンと二足のわらじ時代の苦労。自分一人で作品を作り続けるからこそ必要な成長への意思。そして技術の研究とトライアンドエラー。それらはすべて、森川さんのクラフトマンシップです。だからこそ誰にも真似のできない美しい作品が生まれます。
渡會:今日はお忙しい中、無理言ってお時間いただいちゃって…ありがとうございます!うちのスタッフの同級生という縁で、作品を拝見したんですが、とにかく感動しました。ガラスの中にあんなに小さくて、美しすぎる世界をつくれるなんて…!
森川:こちらこそ、ありがとうございます。ガラスの世界って本当に奥が深いんです。ぼくの作品は、細長い棒状のガラスを熱で溶かしながら、金属の粉をつけていったりすることで色をつけていくんですが、溶かす角度を10度変えるだけで模様が変わっていく。折り紙のように、こういう手順を踏んだら誰が折っても鶴になるというようなものではなくて、緻密な感覚がすべての世界なんです。
渡會:その職人技によって、ガラスの中に奥行きのある世界がつくれるんですね。これは本当にすごい。
森川:今は、ガラスを毎日つくれる状況なのでいいのですが、はじめの頃は、平日はサラリーマンとして働いて、週末でガラス工芸という毎日でした。だから、一週間前の感覚を思い出すのが大変で…。結局、仕事を辞めるんですが「このまま、この生活をし続けていても後悔する。だったらやれるだけやって、自分の感覚を突き詰めよう」って思ったんですよね。
渡會:「このままじゃ後悔する」っていう感覚って大事ですよね。それによって突き動かされる感じ、よく分かります。ちなみに、サラリーマンとしては、どんなお仕事をされていたんですか?
森川:店舗照明の営業をしていました。大学の頃からフェスが好きだったんですが、何度も通っているうちに照明っておもしろいなぁと思うようになって。アパレルなんかにも興味があったので、店舗の照明に携われる仕事を選び、5年弱ほど、勤めました。
渡會:内装業の僕らと重なるところがありますね。ガラス工芸に出会うのは、このあとですか?
森川:元々、モノづくりには興味があって、大学時代には陶芸をやったり、写真部に入ったり、モノづくりのワークショップに参加していました。ガラス工芸もワークショップがきっかけです。はじめに参加したのは、全8回くらいのコースだったと思います。
渡會:それは仕事をしながら通っていたんですよね?
森川:そうです。毎週末、1時間半ぐらいかけて通っていました。コースが終わった後も、祖母の家の使っていない納屋を工房にして、さらに自分の作品作りを続けました。
渡會:そんなにガラス工芸にのめり込んだのはなぜですか?
森川:例えば、陶芸って窯の中にある時間は、つくり手から見えないので、どうやって変化するのか知ることができないんです。ガラス工芸の場合は、素材から出来上がりまでの工程、すべてを見ることができます。個体が液体状になって、色が変わって、形になっていく様を見れることがすごく楽しかったんです。
渡會:なるほど。すべて自分でコントロールしながら、モノづくりができるということですね。もちろん、それはすごく楽しいことだと思うんですが、それを仕事にしようと決心するのは、かなりの決心ですよね。
森川:そうですねぇ。自分の中では覚悟は決まっていたんですが、うちは父が非常に厳しい人で、父に理解してもらうほうがハードルが高かったかな。だから、会社を辞めたことは事後報告にしました(笑)。
渡會:そりゃ、ご両親だって、心配もしますよね。
森川:そのころ、廃人のような生活をしていたんですよ(笑)。月曜日から金曜日まで働いて、金曜日の最終電車で2時間かけて自分の工房に向かい、土曜日・日曜日でガラス工芸にのめり込み、日曜日の夕方に帰って、また働いて、という生活を1年半くらい続けていたんですね。その時期は仕事もめちゃくちゃ忙しくて、金曜日の終電、ギリギリまで仕事をしていたので、本当にボロボロだったんですよね。それを父も見ていましたから、そこまでやるなら…と最終的には認めてくれたんだと思います。
渡會:そんなになってもやりたいことがあるって、幸せなことだと思います。普通の人は、そんなに情熱をかけれるものがなくて、集中、熱中できるものを探す日常を送っているわけですから。
後半は森川さんのクラフトマンシップに更に迫ります。
TEXT:Shintaro Kuzuhara
Photo:Fumihiko Ikemoto(PYRITE FILM)