日本で随一の木型から作る唯一無二のハットブランド
こんなハット、見たことがない。一目見た瞬間に皆そう言うことだろう。
「いわゆる」の概念を覆す、卓越した技術を駆使する帽子職人のCRAFTSMAN SHIPに触れる。
日本で僅かしかいない、型から作るクラフトマン
ハットの制作工程は、通常型と生地を選ぶところから始まる。
数十種類にも及ぶ既存の木型や張地を組み合わせ、オリジナルプロダクトが生まれる。
いわゆるフェルトハットの制作フローだ。
国内のお値打ちなものからボルサリーノのような高級品まで、同じステップでアイテムが出来上がる。
独自の技法にこだわり、今まで手掛けたハットのブランド数は200以上。
トップ部やサイドに型押しで模様をあしらったデザインは、今になっては見かけることも多くなったが聞けば日本で水沼さんだけが出来る手法である。
「こんな形、どうやって作るんだろう?」水沼さんが以前に手掛けたTAKAHIROMIYASHITATheSoloist×SKOLOCTのハットを見れば誰しもがそう思うはず。
「帽子の世界に入る前は、オルガンクラフトさんと同じ建築関係の仕事をしていたんです。そこから人生の転機といいますか、キャリアチェンジ出来るタイミングに恵まれ、物作りが前々から好きだったこともあり靴、バッグ、帽子の3つのどこかのジャンルでやっていきたいなという想いが芽生えてきました」
水沼さんは脱サラしてハット業界に飛び込んだ。会社を辞めた後、基礎を学ぼうとサロン・ド・シャポーという専門学校に入学した。帽子の種類は大きく分類して2種類。いわゆるキャップなどの布物と、木型を使って作る型物。学校には丸や四角といったオーソドックスな木型しかなかった。そこで水沼さんは新しい型物を極めようと決意したのだった。
「帽子って服とかと違っていわゆる生活必需品じゃないけど、被ると被らないのじゃ全然イメージが変わる。不必要なものを必要にするっていうことであえて逆説を狙ってみたくなって。それから被り物の歴史なども調べて、海外とかでも王冠とか、身分を表すものとして使われてきたってこととか、知識がついて更に面白くなってきましたね」
世界で希有な存在になりたい
「世界的にも、帽子業界は木型を作る人、帽子を作る人は完全に分業体制が普通なんです。大体は帽子を作る人が木型職人さんのところへいって有物の木型を買うか、もしくは数種類のサンプルの木型からピックアップして作ることがほとんど」
日本で木型を作れる人は数少ない。帽子をかぶる人口が減ってしまったことで制作だけで食べていけないことが大きな理由だ。木型職人はご高齢の方が多く、自分が伝統を受け継ぎ後世に残していきたい。そんな想いで水沼さんは物作りをしている。
「独立する以前は帽子の製造工場で、それこそ何百ってブランドのハットを作ってきたんですけど結局ゼロから作ってるわけではなくて、既にあるボディにオプションの装飾をブランド独自でして、製品化してストーリー作ってブランディングしていくっていうような手法なんですよね。それが悪いとは思わないですが自分はゼロから作りたかった」
学校を卒業した後は、型物中心の製造工場で15年近く勤務。ハイブランドからカジュアルブランドまで様々な帽子作りに傾倒した。ブランドネームが変わるだけで価格差が出る日本のブランド志向の市場に少しづつ疑問が湧いてきた。
「適正価格ってなんだろうって。手間暇かけて作ったものが値段がつくのはわかるんですけど、実際に現場で作ってるとこれをこの値段で売るの?みたいなことが結構あったんです。だから独立して最初から最後売るところまで一貫して自分が担当するブランドを作ってみたくなったんです」
「工場で勤めている時に、形が浮き上がるハットを作ったことがあったんです。星とかドクロとか。当時自分がプロトタイプで作ってみたものなんですけど。これが出来た時には工場内も盛り上がって。ただ当時の経営陣が、安く流通させてしまったんですよ。独自で編み出した技法なのにもったいないなと感じました。この手法で作っていたのはベルギー王室のハットなどを手掛けていたクリストフ・コパンと僕くらいだと思います」
本当に価値があるものとは何か。後半では、水沼さんが展開するブランドと商品について探っていく。
※本記事は2021年3月に取材させていただいた記事になります。
TEXT:Mitsuaki Furugori(ORGAN CRAFT)
PHOTO:Fumihiko Ikemoto(PYRITE FILM)
水沼 輝之
1978年生まれ栃木県出身、埼玉県在住。
工業高校卒業後、建築系の職業を経て、モノづくりを諦めきれず帽子職人の道を志す。
2001年、帽子作りの基礎を学ぶべく、専門学校「サロン・ド・シャポー学院」に入学。
卒業後、都内の帽子メーカーに就職。帽子の型入れ作業からミシン作業までの技術を学びながら、200以上のブランドの帽子製作を手掛ける。
2015年、独立し自身のブランド「WABISABISM」を立ち上げる。
現在は新宿伊勢丹など百貨店でのポップアップショップを中心に全国で活動中。